官製談合の本当の温床は?

 ここ数日、成田空港公団の談合事件のニュースが賑やかですね。しかも官製談合だの、予定価格の98%で入札されているだの・・・。

 私は物事を斜めに見るのが好きなので、あえて言いますが、

  • 役所が悪い。能力がない。

 空港公団は役所のようなものだとして、「役所が悪い」とあえて言います。何が悪い、何の能力がないのかというと、費用を見積もる能力がないのですよ。だって、役所の公務員なら机の上で原価計算している訳ですよ、実際に物を作るわけではない。だから、実際にどう作って何が必要かわからない。だから、正確な費用見積もりなどできないのです。これは、公務員でなくても言えるかもしれないけれど、企業なら正確な見積もりを出すため(*1)、製作現場などから必要な情報を集めるわけですよ。実際にそれを行う実力組織を持っているわけ。でも、役所は持っていない。だから、正確な見積もりはできないのです。
 ではどうしているかというと、見積もりを企業に依頼するのですよ。しかも、予算要求の時から。だって、いくらくらいになるか判らなければ予算要求すらできないですからね。すなわち、この時点で、予定価格もなにも判ってしまうわけですね。これが官製談合の本当の温床その1です。

  • 予算制度が悪い

 次は、予算の単年度制という制度が悪いのです。予算要求に話を戻しましょう。

例えば
・予算100万円欲しい
と要求するわけですよ。すると、財務省のえらい人、例えばこの前の選挙で当選した片山さつき氏のような官僚たちが、
・「そんな金はない、80万円に減らせ」
と言うわけ。すると、要求元が企業で連絡するわけだ「80万円でもできますか」と言う具合に。
役所の公務員様にとっては、「予算が付いたができません」はとっても困るわけですよ。
だって、
・お国のためにその事業が必要だからお金を下さい。
・お金をあげるよ。ほらっ
・(うっ、足りない、できない)
・どうして「必要だ」といった事業をやってないんだよ
となるのです。
 だから、減額査定されてもその都度その都度、企業に金額はながれるわけですな。

 そしてまた、予算の単年度制、ようするにお金は毎年使い切りましょうという不思議な考え方。余剰金という発想が国にはないようだ。
 もし、100万円予算があり、入札したとしましょうか。100万円かかると思って予算をとりましたよ。で、競争入札すると50万円で落札されたとしましょうか。普通なら、半額で同じ物ができれば大喜びですね。でも、役所は違います「予算が余るぞ、えらいこっちゃ」になります。
 安くできたからと褒められることなどありません。
 「どうして、予算よりそんなに安くできたのか」
 「予算要求資料が間違っていたのではないか」
 「契約先が手抜きをするのではないか」
など(3つめ至っては発注元の責任ではないのだが)のような言いがかりのような仕打ちに合うこと必定。だから、予算めいっぱいで契約したいという考え方に至ります。そして、受注する方はできるだけ高い値段で受注したい。ここで役人と企業の利害が一致します。これが官製談合の本当の温床その2。


 私個人的には、予算より安く目的を達成した場合に報償を与えるようにして、予算の単年度制を緩和して剰余金として次年度に送れば、税制改革などして増税せずとも十分やっていけると思うのだが・・・。

*1:出さないと損してしまうかもしれないものね