映画「アイランド」と人権?

 先日、妻と一緒に「アイランド」という映画を六本木ヒルズガーデンシネマで鑑賞した。

 映画の大きな筋は、アメリカ映画によくある、囚われの身の無実の大衆をヒーローが救うという恒例のパターン。シュワルツネッガーの「バトルランナー」やキヌアリーブスの「マトリックス」と同じばたーんですね。

 この映画の、囚われの衆は臓器移植のために「飼育」されているクローン人間。クローン人間たちは、「地球は汚染されていてこの施設の外では生きていけない。ただ、唯一汚染させていない島『アイランド』という楽園に抽選で選ばれた者だけが行くことができる。」という記憶を擦り込まれている。実はこの抽選のアイランド行き、依頼主が事故や病気で臓器が必要になり臓器を取り出すクローン人間を抵抗無くその他のクローン人間から引き離すための方便だ。
 そして、このカラクリに主人公であるヒーローとヒロインが気づいて脱出し、その後戻って、他のクローン人間たちを開放するというストーリー。

 さて、開放されたクローン人間に人権はあるのか? それが素朴な疑問としてこみ上げてきた。
 もし、クローン技術で、私の腎臓だけを試験管の中で作り出し、それを自分の身体に移植すること考えてみると、これは何の抵抗もない。では、個別臓器は製造できず、人間丸ごと作ってしまった場合には?
 この人間丸ごとが単なる死体のように意志を持たない状態ならば、まだ抵抗は少ないだろう。映画の中でも臓器移植用のクローンは植物状態にしなければならないと法律で決められているということだった。しかし、映画の中では意志を持って生きている状態である。植物状態では臓器の鮮度が保てないので法律に違反して生きた状態で飼育しているのである。映画では「製品」と呼び人間扱いしていない。

 人権などと言う権利は人間にのみ認められているものだ。毎日口にしている牛肉や豚肉、鶏肉も、元はと言えば生きている動物である。これらは家畜と呼ばれ、肉にして食べられるためだけに飼育されている。形が人間と異なるだけで、こうも無惨に扱うことがなされているのが現実だ。
 ここにクローン人間という「極めて人間に姿形の似た生物」が世の中に現れた場合、その生物には人権は認められるのだろうか。それとも、他の遺伝子組み換えで作られた生物が自然界に拡散しないよう厳重に隔離された環境でのみ扱われると同様、クローン人間も厳重に管理された施設内で一生を終え抹殺されるべきものなのか?

 倫理的にも法的にも、人間のクローンを作ることを認めることはないだろう。しかし、倫理の無い人間も存在し、法律を破る人間も存在する。山羊のクローンができたのだから、人間のクローンが現実に登場するもの時間の問題かもしれない。そして、密かに大量に生産されたクローン人間という動物が権利を主張して世の中に開放され場合、きっと新たな悲劇が歴史に刻まれるのだろう。