ロースクールの愚痴再び

 私は法科大学院制度の悪口を言い出すと止まらない方なので、またまた爆発。

 先日、費用と時間と社会的地位を捨てて3割の合格率に掛けるのは危険な賭だということを書きましたが、まだまだ思うことはあります。

 資格試験を受けていて合格できないことはまああるもの。それはそれで仕方が無く、それはひっそりとしていられるわけです。しかしロースクールに通うとなると話が違います。
 ロースクール殆どが昼間の全日制で、夜間とか通信制がない。仕事を辞めなければロースクール通うことは現実には不可能(*1)なのだ。だから密かに試験を受けて、受からなければそのままの人生をひっそり過ごすということができない。
 さらにもう一つ悪いこと。それは履歴に残ることである。仕事を辞め、ロースクールに通う。それはれっきとした「学歴」になってしまう。それで新司法試験に合格すればいいのだが、合格できなかった人は、別の仕事を改めて探す必要がある。ここで「学歴」が邪魔をするだろう。資格試験の受験歴を履歴に書く書かないは自由だが、学歴は正直に書くものとされている。隠せば学歴詐称である。
 ロースクールを卒業して、新司法試験に合格しなかった人を
 「法律知識を身につけたのですね。それはいいことです。」
と採用してくれるほど世の中は甘くはない。
 「ロースクールって、司法試験を受けるために行くところだよね。ということは、受からなかった人だね」
と思われること必定なのです。なぜなら、ロースクール鳴り物入り司法試験改革で作られたことくらいは、あれだけ騒がれたのだから採用担当者なら知っているはず。でも、新司法試験の合格率がいかほどのものかということまではそんなに知られていないのではないだろうか。正確に知っていても合格率30%というのが非常に嫌な数字なのだ。これが3%なら「合格できなくても仕方がないねぇ」となるのだが、「上位3割にも入れなかったの」と評価をつけられる。かなり怖い話である。
 これが大学の法学部であれば、「法学部=司法試験」という固定されてイメージが社会にはない。法学部を出ても司法試験を受けずに普通に就職する人はいくらでもいるから問題はない。しかし、ロースクールとなると
 ロースクール=新司法試験
なのである。だから
 ロースクール修了 かつ 新司法試験に合格していない = 落ちこぼれ or 不勤勉な者
という印象を持たれかねないのだ。

 しかしながら、旧司法試験に合格していないのだから、私に文句を言う資格はない。現状に甘んじた人生を過ごすのか、そうでない道を採るのかを選択せねばなるまい。現状に甘んじる生活を採らないのなら、現実にあるシステム(それが良いものだろうが変なものだろうが)に乗って進むしか道はない。しかし、家族を路頭に迷わせることはできないので、ロースクール自体が社会的な評価を得られるところを目指して行くしかないだろうと思っている。ロースクールはただ新司法試験の受験資格を得るためだけに行くのではなく、見識を広めさらなるチャンスを開くために採る手段にしなければならない。ならば、「入れる」ロースクールに行ってしまうわけにはいかない。ロースクールに順番があってトップというものがあるのなら、トップを目指そうと思う。ロースクールは東大一本で狙います。(ちょっと英語が荷に重いのだが)

*1:これでは、一般の社会人が手を出せるはずがない。